人と樹木の共生を支える、知られざる職人・空師(そらし)
秋から冬にかけての今の時期は、材木となる木の切り出しのシーズンである。木を切る人のなかには、とくに空師と呼ばれる職人たちがいる。寺社や屋敷林などの巨木や狭い敷地内にある木を切ったり、枝を払うのを専門にしている。周囲にお墓や家屋、電線などがある場所では木を横倒しにすることができない。空師はチェーンソーを持って数十メートルの木の突端に上り、枝や幹をクレーンからロープで吊り降ろしながら切っていく。
機械を使うものの、空師は古くからある専門職である。木の所有者から木を丸ごと買い取り、切り出して売ることで利益を出している。切り方ひとつで原木としての価値は大きく変わってしまう。高所での作業なので熟練の技を要する。いま現役の空師と呼ばれる人は、50代、60代を中心とした数人がいるのみ。林業の衰退とともに、その数は年々減ってきている。
数少ない空師のなかでも32歳と、とりわけ若い空師の親方・熊倉純一さんに話を聞いた。11月初旬、彼は東京・青梅の道路沿いで、杉林の木を間引く作業をしていた。高さ20mほどの木を何本も切って、クレーンで吊り出す。部下の空師と手分けして木に上り下りし、てきぱきと作業は進む。2人とも29歳と、こちらも若い。いつも3人のチームで働いているという。この日の仕事ではとくに空師らしい技は使わなかったらしい。
「大きな木を切る仕事はそんなにはないですね。こういう狭い場所での作業とか、ちょっと難しい条件での伐採が多いんです。基本的にどんな仕事も引き受けてます。そうしないとやっていけませんから」
依頼は長野や新潟からも来るが、都心での仕事も少なくない。最近では渋谷の宮下公園の木も切ったという。今月は、埼玉の線路沿いの高架にかかる樹木の伐採も頼まれている。人間の活動と樹木の生命力がせめぎ合うところで、調整役としての熊倉さんたち空師の技が求められている。
熊倉さんは埼玉県大宮市(現・さいたま市)で生まれ育ち、結婚後も地元で暮らしている。中学2年のころからアルバイトとして近所の空師のところに出入りし、高校へは進学せずにそのまま働き始めた。高いところに上る空師の仕事は危険で重労働。「もっとラクな仕事に就こう」と、何度も思った。ところが、次第に木の魅力に惹かれ、20歳のころにはこの仕事で生きて行くことを決め、最近、独立を果たした。一男一女のパパでもある。これまでに大きいものでは、幹回り7mものケヤキを切った。
「とにかく木は面白いっすよ。一本一本個性があるし、予測はしてもやっぱり切ってみないと中がどうなってるかわかんない。同業者で集まって酒を飲むと、ずーっと木の話ばっかりです。奥が深いし、みんな木のことが大好きなんですよ」
そんな熊倉さんを昔から悩ませていることがある。街中などでは、木の枝を切っているだけで通行人から『木を切るな』と言われたり、白い目で見られることが結構多いというのだ。
「木を切る人、イコール自然を破壊している人、と思われるんです。もう慣れましたけど、わかってもらえないのは悔しいですね」
木を切ると断面から雨水とともに細菌が入り、程度の差こそあれ腐食が起こる。それが幹にまで至ると木は枯れてしまう。そうならないために空師は、なるべく幹から遠いところで枝を切る。命綱はあっても、それは作業の危険が増すことを意味する。いずれ材木となる幹を守るためだが、それだけでなく、常に木のことを生き物として考え作業をしているのだ。しかし、そんな苦心はなかなか人に知られることはない。
空師の仕事は命がけだ。じっさい熊倉さんの兄弟子は7年前、自分で切り倒して跳ね上った木に圧されて命を落とした。
「心にスキがあると木に殺られます。木から落ちそうになったり、ヒヤッとすることはしょっちゅうですね」
仕事は緊張の連続。常に命の危険は覚悟している。寺社の神木などを切るので、最初のころは「呪われるんじゃないか……」と、怖かった。そんな彼にも5、6年前に心境の変化が訪れたという。
「木を切るときに、『今までお疲れさま。これからいい板になってみんなの役に立ってくれよ』って自然と思うようになりました。木のほうでも、『お前だったらいいよ、切って』って言ってる気がするんです。妙な話ですけど、やっぱり木は生き物ですから、そういうのは感じますね」
来年の春、木々が芽を吹き始める前まで、熊倉さんたちの忙しい日々は続く。