巨木を伐る・空師(そらし)熊倉さん
寺社や屋敷林の巨木など狭い敷地内にある木を伐(き)るのを専門にしている職人・空師(そらし)。「心にスキがあると木に殺(や)られます。」という話を聞いて記事にして以来初めて、空師の熊倉さんがケヤキの巨木を伐るというので現場を見せてもらうことになった。───
1月7日午前8時。熊倉林業の空師3名と、木を運ぶ材木屋の職人さん、そしてクレーン車の運転手さんの総勢8名が到着。現場は群馬県のほぼ真ん中、前橋から20kmほど北に位置する小野上村(おのがみむら)の山肌にある村長さんの家である。庭の片隅にあるケヤキの木は、個人宅の庭木にしてはかなりデカい。測ってみると目の高さで幹周りがちょうど4mあった。村長さんはこの家の6代目で、木の樹齢は120年ぐらいという。
クレーン車の運転手さんと熊倉さんは、木を見ながら作業手順を相談する。「今日中に終われるかなあ・・・。やってみないとわかんねえな」と熊倉さん。それにしても寒い。朝の気温はマイナス3度。東京から来た人間にとってはめちゃくちゃに寒く感じる。木に登ると風が直接あたるのでさらに寒いらしい。
木の枝のてっぺんまでの高さは25~6mはある。木の形は、幹が空に向かって三つに分かれ、ちょうど鶏の足を逆さに立てたようなかんじだ。幹にはコブはなく地面から5~6mまっすぐに伸びている。道端で作業を見物している通りがかりの人たちも「きれいな木だねえ。百年以上だろうかねえ」などと話している。
熊倉さんによると、分かれた三つ又の幹のそれぞれを伐る作業がもっとも難しいのだそうだ。三つ又の分かれ目にチェーンソーを入れて3本を切り離すことができれば理想的だ。上の3本も材木となるのでできるだけ長く伐り出したほうがよい。しかし、3本とも大人の胴体より太く長さも6~7mある。真横にチェーンソーで伐ろうとしても、刃が木の重みで挟まれて動かなくなるのだ。地上での作業とはわけが違うので、とくに技術と体力を要する。うまくいかなければ大根を切るように上からブツ切りにしていくしかない。
午前9時。皆で安全祈願のお祈りとお清めをして作業開始。チェーンソーを腰から下げ一人木に登る熊倉さん。茂った枝にクレーンから下がったロープをかけ、吊るしたまま伐ってゆく。伐られた枝は地上の空きスペースに下ろされ、さらに細かくされる。木の上でも地上でも絶えず誰かのチェーンソーが駆動しているので、現場は会話が難しいほど騒々しい。風はほとんどないので順調にかなりハイペースで作業が進む。
午後2時。細い枝がすっかり取り払われて、熊倉さんがいよいよ問題の箇所に取りかかる。三つ又のひとつに真横からチェーンソーを少し入れ、できた切れ目にクサビを金槌で打ち込んでいく。チェーンソーの刃が押しつぶされるのを防ぐためだ。隙間にチェーンソーを入れて再び伐る。最後のひと伐りで丸太になった木が幹から離れる直前、熊倉さんが「オーイ」と皆に合図を送る。緊張の一瞬だ。
もしクレーンのロープがうまくかかっていなければ、吊られた木が落下する可能性がある。実際たまにあるらしい。また、クレーンがロープを引っ張りすぎていた場合、このとき木が跳ね上がってしまう。「木が離れるときは怖い」と聞いていたので思わず身構えて見ていたが、そろりそろりと丸太は静かに太い幹から離れ、宙に吊られた。クレーンのアームは33mもあるが、運転手さんの微妙な操作は見事である。
午後3時を過ぎて粉雪が舞い始めたが、4時前には太い幹まで順調に伐り出すことができた。あとは幹を大型トラックに積んだり細かい枝をまとめる作業だけだが、日が翳って気温が低くなっていくのがわかる。なんとか時間内に寒さから逃げ切ったという感じで、地上に下りた熊倉さんも心底ホッとした笑顔だ。いつのまにか敷地に入って来たどこかのおじさんが「おみやげ、おみやげ」と言ってニコニコしながら木っ端の一つを小脇に抱えて去って行った。使えそうもない三角形の木っ端だったが、置き物にでもするのだろうか。
伐った手ごたえとしては、けっこう堅めの材質だったらしい。「あと百年はゆうに生きられる木ですよ」と熊倉さん。まだまだ健康な木ということだ。根っこが道路の側壁を壊さなければもっと長生きできただろうに、これも運命なのか。
木についての聞き書きで有名な塩野米松さんがこんなことを書いている。
「木は二つのいのちを持っています。一つは植物としてのいのちです。もう一つは木材としてのいのちです」(※)
このケヤキも近日、銘木市場でセリにかけられる。最終的にどこの誰が何の目的にこの木を使うのだろうか。そこには「木材としてのいのち」を生かす技を持った職人がいるのだろうか。厳寒の木の上でがんばった熊倉さんたちの思いがどこにつながっていくのか、この先もできれば見届けたい。
※『木の教え』塩野米松・著 草思社